Saya bukan praktisi homeschooling, tapi sangat salut pada mereka yang berani mengambil keputusan untuk tidak menyekolahkan anak-anaknya, dan bertanggung jawab menerima konsekuensinya. Dua di antara praktisi homeschooling yang saya kenal dekat adalah…
Month: January 2012
[Bahasa Indonesia] Satuan Benda
Beberapa hari yang lalu, saat berbincang-bincang dengan Amane-san, ia mengeluhkan betapa sulit memahami aturan penyebutan benda、tentang penggunaan kata sebelum benda yang dihitung itu disebut. Misalnya: xx lembar kertas = xx 枚紙 xx buah…
Antara Jepang dan Indonesia, Bincang Ringan
Setelah sempat tertunda selama hampir tiga bulan, kemarin, acara bincang-bincang dengan kawan-kawan Jepang bisa kami adakan lagi. Bertempat di sebuah pusat perbelajanjaan di bilangan Jakarta Selatan, yang haadir cuma dua orang. Kami…
Terima Kasih
Sejak 3 – 18 Januari, saya menjalani Ujian Akhir Semester (UAS) di kampus. Sepekan sebelumnya, yakni pergantian tahun Masehi, libur. Tapi yah, namanya libur bagi seorang ibu tiga anak yang juga ‘dibayang-bayangi’…
頑張りやさん
やっと、日本語ができるインドネシア語家庭教師と会いました。J先生と言います。彼女は日本人の友達、Mさんのインドネシア語の先生になりました。J先生は週に二回バイクでお家からMさんのところまで一時間もかかりそうです。Mさんの他に、日本人2、3人の生徒もいます。各生徒の家に行かなければいけなく、J先生は毎日忙しそうです。 ジャカルタではバイクで通うと間違いなく辛いことです。空気も排気ガスで 汚れているし、道も大変渋滞していて、非常に危険です。私は十代の頃バイクをよく乗りました。しかし、その時代の交通は今の比べると全然ひどくなかったです。 十年以上海外に住んでいた私、帰国するとバイクを乗るのは自身がありません。J先生は毎日2,3時間もジャカルタでバイクを乗っていて、心強いと思います。J先生はそんな辛いことをやっていても、顔がニコニコして、暖かいほほえみを忘れずに、生徒に向かっています。J先生のご主人はジャカルタにある日本レストランに勤めています。 「ご主人は日本語ができますか」とMさんが尋ねました。 「いいえ、できません。こんにちは、ありがとう、シンプル挨拶ぐらいだけしっています」とJ先生がニコッと答えました。 数年前にJ先生は日本のKEIO大学で日本語を勉強していました。専門は語学だったので、やはり言語の先生にふさわしいです。 私もインドネシア人ですが、ちゃんと語学で勉強したことがないので、母語を教えるのは自身がありません。言語を教えるとは簡単ではないと思います。母語は自然に話せますが、他人に教えるのは別のことです。 ごみのかかり 精一杯に仕事しているJ先生のことを見ると、他の一般てきなインドネシア人の生き方が頭に浮かびました。 イ ンドネシアではごみ問題をどうやって解決するのかが政府をはじめ、皆にきちんと考えられていません。インドネシアではごみにのことをよく分かってる人が結構いますが、政府がごみ問題を十分に配慮しないのでインドネシア人のごみの専門家の力がむだになっています。日本で博士号までごみを勉強したインドネシア人の友達がいて、1997年に来日して、今もまだ日本に住んでいます。インドネシアで仕事が見つからないかぎり、帰る気はないと言っていました。 政府がごみ問題を解決しないので、政府の代わりに一般の人々ができるだけやっています。彼らは会社で勤められない人々です。自分の力でごみを集めたり、分別したり、リサイクルしたり、リユースしたりします。ごみからできたものを工場に売ったり、市場にも。そいう仕事をやって、生き続けます。 ごみを拾うことを仕事にしている人はインドネシア語では「PEMULUNG (ぺムルン)」と言います。 インドネシアではPEMULUNGは何十年前から存在しています。ほとんどは今家族でやっています。お父さんもお母さんも子供達もPEMULUNGです。ジャカルタの近くにべカシのバ ンタルゲバンというごみ山があります。あそこに4000人も住んでいるらしいです。日本人の友達がこんなことを聞くとびっくりして、「信じられない」と言いまし た。 +「ちゃんと仕事がないから、彼らはそういうことをやっています」と私が返事しました。 ー「でも、ごみ山に住むって...、体にも危ないですよ」 +「そういう人々は健康のことはもう考えませんよ。毎日どうやって生きていることしか考えません。 彼らは子供のころから、そういう生活をし、学校へ行けなく、大人になってもやはりPEMULUNGしか選択がないです。」 PEMULUNGの話は悲しいですが、彼らにいいことを教示してもらっています。それは、命を捨てなく、諦めずに、辛くても生き続けることです。 J先生、PEMULUNG達、のような人々は、「頑張りやさん」と私が呼んでいます。 ### Bambu Apus, 2011年8月17日